2005年 10月 19日
”アテンド” |
”アテンド”っていう業務があります。業界を超えた共通用語ですかね?商社の海外駐在員なんてそのためにあるんだ、と、断言してはばからない人達はいまだに多いし、実際そうなんじゃないかな。
というわけで、ご他聞に漏れず、現在”アテンド”中なわけです。といっても、僕自身は、実は始めてのアテンド業務。というのも、入社以来営業部ではなく、投資事業というあいまいな組織に属してきた身分のため、その手のある種面倒系業務は全てすっ飛ばすことが出来たわけです。えらそうに聞こえますが、組織的に偉そうなポジションだったわけです。従って、勘違いしがちな部署でもあった。つまり、1年目から役員に向かってプレゼンし、意見を述べ、反対も出来るという部署だったわけで、丁稚制が未だに残る純営業部からすれば、『何様』って感じなことでしょう。
話がわき道にそれましたが、従って、初のアテンド。しかも、ご一行は、やたらめったら重たい人達(体重ではなくて、位が重い)。元役付き役員、バナナの創始者等々。つまり、生粋のバナナマン達の卒業旅行なわけです。 すでに引退組みですから、お客さんでもないし、もろ営業の人達から言わせれば、お前、そんなのちょー楽ショーじゃねーか、ってなことでしょう。でも、おつきは僕が一人で、後は農園側で受け入れる人達ばかりって状況だし、1ヶ月ぐらい前から暗かったんですよね。想像しただけで気が重くて。
でも、気持ちを切り替えました。『これは、いいエクスポージャーだと。』って、実は、以前にもお話したおばちゃんアドバイザーにポジティブに吹き込まれました。いいチャンスだって。それで、偉いおじ様方たちのよい聞き手に徹しつつ、さりげなく言いたいことを言おうかな、という感じです。
保身に走るモティベーションは今のところ無いのですし(借金漬けでも、昇進を人生の目標にもしていないという意味)、そもそも機会を貰えるならあまり深く考えずに色々意見をいいたいタイプ。で、案外言ってみるもんだ、というのが今日のところ。 ぜんぜん、堅苦しくないし、形式ばってないし、実にいい感じ。だなぁ、いまのところ。
ところで(話題があちこちに行く癖がありますが)、一人70代中盤の方がいらっしゃいます。失礼ながら、完全にご老人です。しかし、尊敬すべき人ですねぇ、というか、古きよき、誇り高き商社マンっていう印象です。 年齢からは想像できないほど、頭はしっかりと回っています。背筋は常にぴしっと伸びていて、流暢な英語をしゃべります。柔和な表情で、まだまだ勉強をしたいので色々と教えてください、と、謙虚な姿勢。そんなお方が70年代、このミンダナオに何十億って言う投資の決断をした人な訳です。その当時のミンダナオ島ですよ。何十億円ですよ。 どんだけ大胆な決断だったことだろう、と、思われるわけです。当時の苦労話やら、ノスタルジックな世界を聞かされます。でも、実は、今やってる人達、当時と変わっていないんです。狭い世界なんですよね、あいつはあの後どうしただの、あいつの息子が継いでる、あそこのは出来が悪い、奴は数年前銃で撃たれた、等等、未だにみんな繫がっている。 行方を知ってるわけです。 それで20年ぶり、30年ぶりの再会を果たす人達もいて。
この人達、本当の国際派ビジネスマンだなぁ、”商社マン”だなぁ、と、久々に、感銘を受けました。(実は、商社マンという言葉が、僕はとても苦手で、絶対に口にしません。それは、その単語を発する人達の意図が、ここのところあまり芳しいものではないように感じられるから。っていうかダサい。) で、自らが属する組織に疑問を抱く機会が増える今日この頃だったこともあり、今回のアテンドはそういう意味ではよかったかも。就職活動学生が抱く商社マン像、そのものかもしれません(最近の学生は、もっとsofisticateされたinvestmentチックなイメージを期待してたりするのかもしれないが)。
古きよき日々の先輩方の後姿に、本物のかっこよさとか、憧れとか、そういうわかりやすいモティベーションをもらったような気がします。 『先輩の背中を追っかけて仕事に明け暮れる』、古きよき”商社マン”達、”バナナマン”達には、とても似合う表現ですよね。 組織がとても強かった時代のかっこいい人間関係を垣間見ることが出来ました。
今週一杯、色々と勉強させてもらいます。
というわけで、ご他聞に漏れず、現在”アテンド”中なわけです。といっても、僕自身は、実は始めてのアテンド業務。というのも、入社以来営業部ではなく、投資事業というあいまいな組織に属してきた身分のため、その手のある種面倒系業務は全てすっ飛ばすことが出来たわけです。えらそうに聞こえますが、組織的に偉そうなポジションだったわけです。従って、勘違いしがちな部署でもあった。つまり、1年目から役員に向かってプレゼンし、意見を述べ、反対も出来るという部署だったわけで、丁稚制が未だに残る純営業部からすれば、『何様』って感じなことでしょう。
話がわき道にそれましたが、従って、初のアテンド。しかも、ご一行は、やたらめったら重たい人達(体重ではなくて、位が重い)。元役付き役員、バナナの創始者等々。つまり、生粋のバナナマン達の卒業旅行なわけです。 すでに引退組みですから、お客さんでもないし、もろ営業の人達から言わせれば、お前、そんなのちょー楽ショーじゃねーか、ってなことでしょう。でも、おつきは僕が一人で、後は農園側で受け入れる人達ばかりって状況だし、1ヶ月ぐらい前から暗かったんですよね。想像しただけで気が重くて。
でも、気持ちを切り替えました。『これは、いいエクスポージャーだと。』って、実は、以前にもお話したおばちゃんアドバイザーにポジティブに吹き込まれました。いいチャンスだって。それで、偉いおじ様方たちのよい聞き手に徹しつつ、さりげなく言いたいことを言おうかな、という感じです。
保身に走るモティベーションは今のところ無いのですし(借金漬けでも、昇進を人生の目標にもしていないという意味)、そもそも機会を貰えるならあまり深く考えずに色々意見をいいたいタイプ。で、案外言ってみるもんだ、というのが今日のところ。 ぜんぜん、堅苦しくないし、形式ばってないし、実にいい感じ。だなぁ、いまのところ。
ところで(話題があちこちに行く癖がありますが)、一人70代中盤の方がいらっしゃいます。失礼ながら、完全にご老人です。しかし、尊敬すべき人ですねぇ、というか、古きよき、誇り高き商社マンっていう印象です。 年齢からは想像できないほど、頭はしっかりと回っています。背筋は常にぴしっと伸びていて、流暢な英語をしゃべります。柔和な表情で、まだまだ勉強をしたいので色々と教えてください、と、謙虚な姿勢。そんなお方が70年代、このミンダナオに何十億って言う投資の決断をした人な訳です。その当時のミンダナオ島ですよ。何十億円ですよ。 どんだけ大胆な決断だったことだろう、と、思われるわけです。当時の苦労話やら、ノスタルジックな世界を聞かされます。でも、実は、今やってる人達、当時と変わっていないんです。狭い世界なんですよね、あいつはあの後どうしただの、あいつの息子が継いでる、あそこのは出来が悪い、奴は数年前銃で撃たれた、等等、未だにみんな繫がっている。 行方を知ってるわけです。 それで20年ぶり、30年ぶりの再会を果たす人達もいて。
この人達、本当の国際派ビジネスマンだなぁ、”商社マン”だなぁ、と、久々に、感銘を受けました。(実は、商社マンという言葉が、僕はとても苦手で、絶対に口にしません。それは、その単語を発する人達の意図が、ここのところあまり芳しいものではないように感じられるから。っていうかダサい。) で、自らが属する組織に疑問を抱く機会が増える今日この頃だったこともあり、今回のアテンドはそういう意味ではよかったかも。就職活動学生が抱く商社マン像、そのものかもしれません(最近の学生は、もっとsofisticateされたinvestmentチックなイメージを期待してたりするのかもしれないが)。
古きよき日々の先輩方の後姿に、本物のかっこよさとか、憧れとか、そういうわかりやすいモティベーションをもらったような気がします。 『先輩の背中を追っかけて仕事に明け暮れる』、古きよき”商社マン”達、”バナナマン”達には、とても似合う表現ですよね。 組織がとても強かった時代のかっこいい人間関係を垣間見ることが出来ました。
今週一杯、色々と勉強させてもらいます。
by Tomoya_Yasuda
| 2005-10-19 01:13
| Philippines