2006年 10月 19日
来客と、人と人の距離について |
週末から昨日にかけて友人が義妹と息子を連れて我が家にお泊り会。ただでさえ狭いマンションの部屋が、合宿状態。『芋たこなんきん』状態っていうのかな。それでも、その合宿度合い、人気の多さは、案外と悪いものではないなぁ、なんてことを感じ。また例によってこんなことを思ってしまいました。
賑やかで人気のある暮らしは、子供にとってはとても良い環境だな、って。まず、常に目が行き届くから親の負担は軽くなると言うことはあるのだけど、それ以上に多くの人間が係わることで子供達が受ける刺激は、量・質共に圧倒的に異なったものになる。学びや気付きは、自然と増えるだろうし、そしてその刺激は、数が増えることで偏りが減る、というか選択肢が増える。
昔の大家族、3世帯住居、そういう世界にはこんなコミュニティがあって、コミュニティが子供を育てた、と言う議論はよく耳にする。そしてそのコミュニティは、家の中だけでなく隣近所を含めてのことだっただろうから、より多くのオトナが彼らの成長に深く関与した、と。勝手な印象では、そういう環境で育った人間ほど、人懐っこく、溶け込むのがとても得意。身の回りのコミュニティの延長線上に、その他の人達が居て、だからその人たちも全て延長線上で考えることが出来るから、辿り着く方法論を知っているんだろう、と。
逆に、コミュニティに育まれなかった場合は、どうだろう。子供にとって最大の学びの機会を減じることになるのではないだろうか。
人付き合いについて、特に最近のビジネスの世界では、コミュニケーション能力、Interpersonal Skill、リーダーシップ、マネジメントスキル、コーチング、能力開発、飲みにケーション、と、色んな表現を持ってその距離をどう伸縮させるかみたいな話題がゴマンとある。個人的にはかなり気持ち悪いと感じている。だから、そういう方法論をあからさまに使うタイプの人間とはあまり仲良くなれない。自然じゃないし、逆に自分への自信の無さを感じる。
勿論、技術を利用することであるものをより良くする、それは賛成。話す順序、身振り手振り、言い回し、言葉の選び方で受けての印象は劇的に変ることは認める。
でも、居るよね、人の心掴むの上手な人。人を惹きつけて已まない人。別におしゃべり上手でなくても、プレゼンテーション不恰好でも。
何が言いたいのかって言うと、人の力、魅力とか人間力とかって言われるものって、人とぶつかり合うことで学んでいくものであって本で学ぶことではないと言う当たり前のことを、嫌がおうにも人と接する日々を通じて、改めて感じた、ということ。
『僕は、マネジメント能力あります。勉強しましたから。専門のコースも取りました。』
『専門が違うし、人をManageするのは私の仕事では必要ないと思います。』
とかいう発言をよく耳にする土地柄です、ここは。僕は、『は??』とあっけにとられますが、彼らは本気。別に香港に限らず、そういう文化圏ってありますよね。不自然なマッチョ志向の土地とか。
コミュニティに揉みくちゃにされ、煽てられるために周囲の注目を集める術を得、そこの力関係を見て立ち居振る舞いを身につけ、感情を分かち合う集団を見て自分もそこに帰属する意識を持つ。そんな人間として当たり前の技をウェットな環境から学ぶプロセスが成長であり、学習であって、予め誰かが整理してくれた理論を本から得てそれに従って行動する様なからっからに乾いたことが教育であったり、学習であったりするのではない。そんなことを改めて感じ、そういうウェットな環境を如何に子供に提供できるかが親の役割だなあ、と思ったわけです。
まずは、野球チームが出来るぐらい子供を持つところから始めます。。
※ロブスター・チーズ入り麺@西貢
賑やかで人気のある暮らしは、子供にとってはとても良い環境だな、って。まず、常に目が行き届くから親の負担は軽くなると言うことはあるのだけど、それ以上に多くの人間が係わることで子供達が受ける刺激は、量・質共に圧倒的に異なったものになる。学びや気付きは、自然と増えるだろうし、そしてその刺激は、数が増えることで偏りが減る、というか選択肢が増える。
昔の大家族、3世帯住居、そういう世界にはこんなコミュニティがあって、コミュニティが子供を育てた、と言う議論はよく耳にする。そしてそのコミュニティは、家の中だけでなく隣近所を含めてのことだっただろうから、より多くのオトナが彼らの成長に深く関与した、と。勝手な印象では、そういう環境で育った人間ほど、人懐っこく、溶け込むのがとても得意。身の回りのコミュニティの延長線上に、その他の人達が居て、だからその人たちも全て延長線上で考えることが出来るから、辿り着く方法論を知っているんだろう、と。
逆に、コミュニティに育まれなかった場合は、どうだろう。子供にとって最大の学びの機会を減じることになるのではないだろうか。
人付き合いについて、特に最近のビジネスの世界では、コミュニケーション能力、Interpersonal Skill、リーダーシップ、マネジメントスキル、コーチング、能力開発、飲みにケーション、と、色んな表現を持ってその距離をどう伸縮させるかみたいな話題がゴマンとある。個人的にはかなり気持ち悪いと感じている。だから、そういう方法論をあからさまに使うタイプの人間とはあまり仲良くなれない。自然じゃないし、逆に自分への自信の無さを感じる。
勿論、技術を利用することであるものをより良くする、それは賛成。話す順序、身振り手振り、言い回し、言葉の選び方で受けての印象は劇的に変ることは認める。
でも、居るよね、人の心掴むの上手な人。人を惹きつけて已まない人。別におしゃべり上手でなくても、プレゼンテーション不恰好でも。
何が言いたいのかって言うと、人の力、魅力とか人間力とかって言われるものって、人とぶつかり合うことで学んでいくものであって本で学ぶことではないと言う当たり前のことを、嫌がおうにも人と接する日々を通じて、改めて感じた、ということ。
『僕は、マネジメント能力あります。勉強しましたから。専門のコースも取りました。』
『専門が違うし、人をManageするのは私の仕事では必要ないと思います。』
とかいう発言をよく耳にする土地柄です、ここは。僕は、『は??』とあっけにとられますが、彼らは本気。別に香港に限らず、そういう文化圏ってありますよね。不自然なマッチョ志向の土地とか。
コミュニティに揉みくちゃにされ、煽てられるために周囲の注目を集める術を得、そこの力関係を見て立ち居振る舞いを身につけ、感情を分かち合う集団を見て自分もそこに帰属する意識を持つ。そんな人間として当たり前の技をウェットな環境から学ぶプロセスが成長であり、学習であって、予め誰かが整理してくれた理論を本から得てそれに従って行動する様なからっからに乾いたことが教育であったり、学習であったりするのではない。そんなことを改めて感じ、そういうウェットな環境を如何に子供に提供できるかが親の役割だなあ、と思ったわけです。
まずは、野球チームが出来るぐらい子供を持つところから始めます。。
※ロブスター・チーズ入り麺@西貢
by Tomoya_Yasuda
| 2006-10-19 19:50
| LIFE